マーキュリー(Mercury )はアメリカのフォード・モーターが1938年から生産していた自動車のブランド名。
最終的にはアメリカ合衆国、メキシコ、プエルトリコ、アメリカ領ヴァージン諸島、中東のみで展開されていたが、一般向けは2010年10月3日に最後の1台であるマリナーの生産が終了し、レンタカー向けも2011年1月4日に最後の1台となったグランドマーキーが生産ラインを離れ、70年以上にわたるブランドの歴史に幕を閉じた。
フォード・モーターのラインナップにおいて、大衆車ブランドのフォードと高級車ブランドのリンカーンの中間に位置づけられた、中級~準高級カテゴリーの車種であった。ブランド名の由来はローマ神話に登場する商業神メルクリウスの英語名にちなんだものである。
1930年代に至るまで、フォード・モーターには大衆車のラインナップを担う「フォード」、そして高級車のラインナップを担う「リンカーン」の2ブランドしか存在しなかった。しかしフォード・モーターのライバルのゼネラルモーターズ(GM)は、中級車だけをとっても「ビュイック」、「オールズモビル」、「ポンティアック」の3ブランドを擁しており、対GM戦略上、フォード・モーターも新たに中級車ブランドを立ち上げる必要に迫られていた。
無論フォード・モーターも中級車市場の伸びに手をこまねいていたわけではなく、GMが『廉価なキャデラック』というスタンスで製造・販売していた「ラサール」への対抗車種として「リンカーン・ゼファー」を投入するなどの対策は取っていたが、GMのビュイックが「40型」というモデルの投入によって全米4位にまで上りつめたという事態を受け、フォード・モーターも中級車市場対策に本腰を入れるべく新車種の投入を決断する。
1938年6月に、フォード・モーターの社長エドセル・フォードは自社の幹部に新投入する中級車、「フォード・マーキュリー」を公開した。この車種はリンカーン・ゼファーとフォード・デラックスの中間的な価格帯を埋める目的で作られたが、当初の予定ではあくまでフォード・ブランドの最上級車種という位置付けだった。
しかしこの年の11月にはマーキュリーは独立ブランドとされ、マーキュリー・エイトというモデル名で発売されたが、当初はマーキュリー・ブランド固有のネームバッジもなく、ホイールキャップには『フォード・マーキュリー』の文字が残されており、マーキュリー・エイトという車種の出発点がフォード・ブランドにあることを印象付けていたという。
構造面では従来からのフォードの拡大強化版とも言うべきもので、フォードとほとんど同一の前後固定軸シャーシに、当時のフォードのセールスポイントであった(中級以下の自動車としては高度かつ高出力な)V型8気筒エンジンを排気量拡大して搭載し、動力性能を向上した。
外観では、フォードと同様なトレンドを用いながらもボディプレスの曲面仕上げが繊細になり、モール類も増やされていた。この傾向は戦前型の設計を踏襲した1948年モデルまで一貫していた。最高速度90マイル/h級の性能は、当時競合する中級車各車と十分に比肩しうるものであった。