モト・グッツィ(Moto Guzzi )はピアジオ社の傘下にあるイタリアのオートバイメーカーである。日本ではしばしばモト・グッチなどと表記されることもあるが、同じくイタリアに本社のある大手ファッションブランドのグッチ(GUCCI)とは資本関係を含め全く関連はない。
日本の自動車検査証においてはモトグッティと表記されている。
モト・グッツィは1921年に設立された、イタリア・ロンバルディア州、コモ湖畔の村マンデッロ・デル・ラーリオに所在するイタリア最古のオートバイメーカーである。
モト・グッツィが製造・市販するオートバイ第二次世界大戦を挟んで大きく二種類に分けられる。
第二次世界大戦前は空冷水平単気筒エンジンだったが戦後は一貫して空冷縦置き90°Vツインエンジンとシャフトドライブを採用しており、同レイアウトでネイキッド、クルーザー、デュアルパーパス、スポーツツアラー、スーパースポーツまで、様々なタイプの車種をラインナップしている。
日本国内では正規ディーラーとして福田モーター商会がモト・グッツィの製品を取り扱っている。
他のイタリアメーカーがレース活動やスポーツモデルの開発に重点をおくなかで、モト・グッツィはツーリングモデルを主軸とした製品を作り続けている。
1920年に、第1次世界大戦時に戦前の著名なレーシングライダーであったジョヴァンニ・ラヴェッリとエンジニアで社名の元となったカルロ・グッツィ、富豪のジョルジョ・パローディの3人がイタリア空軍に徴兵されて出会ったことがきっかけで創業した。
現在でも会社のエンブレムには、イタリア空軍の象徴である“AQUILA”(アクイラ、鷲を意味し、ローマ帝国に由来するエンブレム)を用いている。これはラヴェッリが第1次大戦終了直後に航空機事故で亡くなってしまい、実際の会社設立には参画できなかったことを悼み、そして3人の友情が出発点であることを象徴として戴いたエンブレムである。残る2人で、グッツィが1920年に最初の試作車「G.P.」を製作し、パローディがジェノヴァの海運会社のオーナーである父親にアピールして出資を受け、1921年3月に会社を設立した。
創業直後よりレース活動に取り組み、1921年の創業直後のタルガ・フローリオで優勝したことを端緒として、1957年までワールドチャンピオンシップの常勝チームとして名を馳せ、14回のワールドタイトル獲得と11回のマン島TT優勝を成し遂げている。
レース活動では2つのエピソードが有名である。1つは、1934年のマン島TTで、当時絶頂期のイギリスメーカーに対し、イタリア人ライダー“オモボノ・テンニ”を擁して対抗し、見事優勝したことである。
初のイギリス製以外のマシンによるマン島TT勝利という栄冠を、初のイギリス人以外のライダーが達成するという歴史に残る快挙を成し遂げた事は、第2次大戦前夜で地中海の覇権を賭けて “大英帝国”と対立していたイタリアにとって、またとない朗報をもたらしたことになったようで、モト・グッツィがイタリアの顔とも言えるメーカーとなった切っ掛けでもある。
もう1つは、創業者カルロ・グッツィの愛弟子であったジュリオ・チェーザレ・カルカーノ技師によりDOHC V8 500CCの究極のGPレーサー「オットー・チリンドリ」が産み出されたことである。ホッケンハイムサーキットで最高速度275Km/hと平均速度199Km/hを記録したこのモンスターマシンは、現在でもGP史のみならず、イタリア二輪産業界の輝かしい1つの頂点として記録されている。ちなみに、このカルカーノ技師が現在のVツインエンジンの原型を設計したことは、有名なエピソードである。
一方市販車では、1928年には先進的なリアサスペンションとフェアリングを装備したツアラーモデルの先駆けと言える「GT」を開発し、「カルロ・グッツィ」とその兄の「ジュゼッペ・グッツィ」の兄弟によるノルウェーの北極圏地帯までの走破を成し遂げ、その製品の走行性能の優秀さと耐久性を実証し、以後の車輌販売のみならず、イタリア警察や軍への独占的な車輌納入を誇る契機ともなる。
この時の事跡を記念し、このモデルは以後「GTノルジェ」(ノルジェはイタリア語でノルウェーの事)と呼ばれ、最新のツアラー「1200GT」にもこの車名は引き継がれている。1957年以降は膨大な資金を必要とするレース活動から撤退し、公道を快適に走れるツアラーモデル専業メーカーとして活動を続けているが、時折他の製品とは印象を異にするスタイリッシュなスポーツモデルやレーシングモデルを産み出して世間を驚かせることがある。