トヨタ・セルシオ(Celsior )は、トヨタ自動車で1989年から2006年にかけて販売されたFセグメントに属するラグジュアリーサルーンである。
日本国内では「トヨタ」ブランドのセルシオとして販売された一方、日本国外では同社が展開している高級車ブランド「レクサス」のフラッグシップモデルLSとして販売された。
2005年より日本国内でもレクサスブランドの展開が開始され、2006年9月にはセルシオの後継車種となる新型LSを発売。取扱店もレクサス店に完全に移行することとなった。それ以前の取扱店はトヨタ店とトヨペット店であった。
1989年、米国にて立ち上げられたトヨタの高級車専門販売チャネル「LEXUS(レクサス)」に「ES250」(日本名;カムリ・プロミネント)とともに、そして同チャネルの最上級車として「LS400」は発売された。それまではメルセデス・ベンツやBMWといった(一般的には)高級車ブランドの間に、安い車のイメージの強かった日本のメーカーが割って入る余地はないと思われていた。しかし、トヨタは米国市場を中心に1980年代初頭から徹底したマーケティングを行った結果、新規参入するには日本特有の「もてなしの心」が重要であると判断。仮想敵である上記ドイツ車群や他メーカーにはない圧倒的な静粛性と快適性、そして日本車特有の繊細さを前面に出すことで、登場するや否や米国人の心を捉え引く手数多の人気となり、レクサスブランドの礎を築くきっかけとなった。この車の出現はクルマ業界全体を震撼させたことはもちろん、メルセデス・ベンツ・BMWなど同クラスの高級セダンの車作りの概念をも変えてしまったと言われるほどだった。同時期に日産が北米市場にて高級車チャネル「INFINITI(インフィニティ)」を設立するも、先行するベンツやBMWの後追い感が否めない車種ばかりであったことから、なかば失速状態での運営スタートとなったのとは対照的であった。また、トヨタの「レクサス」ブランドの成功により、後にフォルクスワーゲンなどの大衆車メーカーが高級車市場へ参入するきっかけともなった。
そして同年10月、日本国内でも「セルシオ(CELSIOR)」の名で販売を開始。本来ならトヨタの伝統的車種クラウンがあるために日米における嗜好性の差異を考慮して日本導入は見送られるはずだったが、既存の国産セダン車のイメージを覆した日産のシーマが爆発的なヒットを記録したことを受け(後にシーマ現象を生むことになる)、日本車の枠に留まるクラウンクラスでは満足出来なくなった顧客層の要望に応えるためにクラウンとセンチュリーの間に位置する新しい車種として発表された。そのデビュー時、新聞では2面広告が打たれ、セルシオを擁して「新しいトヨタ」を大々的に宣伝した(それにあわせるようにセルシオの登場を機に現在のトヨタCIマークの使用を開始)。ショーファードリブン(オーナー自身は運転しない)が前提のセンチュリーを除くと当時の日本車の中では最高級車に位置付けられていた。
法人需要も多かったが、VIPカーと呼ばれるドレスアップ改造車のベース車として人気を博している。そのため中古市場でも人気が高い車種である。またパーツ単体で見てもXF30系に装備されるブレーキキャリパーが純正パーツ流用チューニングの定番パーツとなっており、そのためのキットも発売されている[1]。
型式名
UZエンジンを搭載し、車両型式名がXFであり、トヨタの型式ではZ+X=Cとなることから、UCFから始まるものとなる。
型式はUCF10/11・20/21・30/31が存在し、“0”で終わるものはコイルサスペンション装備、“1”で終わるものはエアサスペンション装備の車両である。