フェラーリ(Ferrari S.p.A )は、イタリア、モデナ県マラネッロに本社を置く自動車メーカーである。フィアットグループの傘下で、高級グランツーリスモ及び高級スポーツカーのみを製造している。
1929年に、アルファ・ロメオのセミワークスレーシングチームとして、エンツォ・フェラーリとその友人により設立された「スクーデリア・フェラーリ」が前身である。なおフェラーリは、1932年まで自身もスクーデリア・フェラーリのレーシングドライバーとしても活躍していた。
その後1939年にイタリアが第二次世界大戦に参戦し、レース活動が禁止されるとフェラーリは工作機械製造の経営者となった。その後1943年8月にイタリアが連合国に降伏するとマラネッロに自前の自動車工場を設立し、自前のレーシングカーを開発するようになった。
フェラーリの市販車第1号は1947年に製造された「125S」であった。その後「340アメリカ」 (1951年)や「340メキシコ」(1952年)など、海外レースへの参戦に合わせて海外市場も考慮したモデルを投入したが、いずれもレースに参戦する費用の捻出のために旧モデルとなったレーシングカーをロードカーとして仕立て上げ、貴族や富豪などを中心に販売していたものであった。
その後「250」シリーズで初めてレーシングカーを基にしない市販車の製造を開始した。しかしながら、初代「250」は「暑い」、「うるさい」、「乗り心地が悪い」、「故障が多い」など不評も多かった。しかしその後、シリーズを重ねるごとに改良は進み操作性や快適性は増して行き、当時「世界最速の2+2」と称された「250GTE」などいくつかのモデルは純粋なレーシングカーからは離れて行った。
しかし、「250MM」や「250GTO」をはじめとしてその多くがレース参戦のためのホモロゲーション取得を目的としたもの、もしくは多少のモディファイをすることで各種レースへの参戦も可能としたもので、実際にエンツォは自社の市販車に「スポーツカー」という言葉は用いなかったばかりか、乗り心地や快適性を求める購入者を蔑んでさえいた。
その後フェラーリの市販車は、品質や機能性を高めて行き生産台数を順調に増やして行ったものの、その価格は依然として高価なものであった。しかし、これらのフェラーリの市販車は、F1をはじめとするレースにおける活躍によるブランドイメージの向上や性能の高さ、デザインの美しさが高い評価を受けて、ヨーロッパやアメリカを中心に高性能市販車としての地位を確固たるものとして行った。
また、欧米においては王族や貴族などの上流階級や、スポーツ選手や映画俳優などの著名人といったセレブリティが愛用し、その姿が世界各国のニュース映画や雑誌の紙面を飾ったこともそのブランドイメージを押し上げる結果となった。なおフェラーリは、現在に至るまで自社製品の広告を全く行わないことでも知られている。
エンツォは「12気筒エンジン以外のストラダーレ(市販車)はフェラーリと呼ばない」と公言していたという逸話が残っており、この逸話通りこの頃生産されていたすべての市販車はV型12気筒エンジンを搭載していた。
なお、「250GTルッソ」(1964年)や「275GTB/4」(1966年)をはじめとして、1973年にデビューした「365GT4BB」から1995年に生産を中止した「512TR」までの期間を除き、現在のトップモデルの「599」に至るまで、限定生産車を除く市販車のトップレンジを担っているのは常にフロントエンジン(FR)、V型12気筒のモデルである。