ランボルギーニ(Lamborghini )は、イタリアの自動車メーカーである。正式名称はヌオーヴァ・アウトモービリ・フェルッチオ・ランボルギーニ SpA(Nuova Automobili Ferruccio Lamborghini SpA)。1999年以降フォルクスワーゲングループに属する。
本部はボローニャ県サンターガタ・ボロニェーゼであり、ライバル関係にあるフェラーリの拠点モデナ県・マラネロとは、直線距離にして僅か20km程度しか離れていない。
第二次世界大戦後、イタリアにトラックが不足していることに目を付けたフェルッチオは、軍が放出するトラックを民生向けに改造し販売することで富を得た。
大戦中、ロードス島にて兵器のメンテナンスに当たっていた彼の経験が活かされる形となった。
1947年、当時から自動車好きであった彼は、これを元手に小さなチューニングショップを開いた。
1948年、彼は友人と共にミッレミリアに参戦した。車両はフィアット・トポリーノで、自作のOHVヘッドが載せられていた。
しかし途中で友人が運転を誤り、レストランに突っ込んでしまう。
この際、彼は友人と共に車外に投げ出され、大怪我を負った。後に彼がレース界から距離を置くようになったのは、この経験が一因であると言われている。
その後、彼はトラックに続いてトラクターの自社開発に取り組み、1949年にランボルギーニ・トラットリーチ SpAを設立した。
当初はただ同然で手に入れた軍放出車両のモーリスエンジンを用いた一般的なものであったが、後に自ら開発した排気熱で軽油を気化するイン・パボリザトーレというシステムを使って高性能なトラクターを作った。これは高価なガソリンをエンジンの始動と暖気に使うだけで済み、後は安価な軽油で充分に動かせたため、大ヒットに繋がった。
また1960年にはランボルギーニ・ブルチアトーリ SpAを設立し、ボイラーとエアコンの製造販売を手掛け、成功を収めた。
巨万の財を築いた彼はエキゾチックカーを買い集めるようになる。しかし、どの車も暑すぎたり、スピードが十分でなかったり、狭すぎたりしたため、フェルッチオを満足させる物ではなかった。
のちにエキゾチックカーの生産に乗り出したフェルッチオは、「(汗で)助手席に座るレディのメイクアップが落ちないような快適な車を作りたい」と語ったという。やがて彼は富の象徴、フェラーリのオーナーとなるが、当時のフェラーリにはクラッチに決定的欠陥があった。
所有するフェラーリの度重なるクラッチの故障に頭を痛めた彼は、自社のトラクター工場でフェラーリを修理することを思いつく。いざクラッチを分解してみると、使われていたのはなんと自社のトラクター用パーツと同型のボーグ&ベック製クラッチ板であり、しかも全く同一のパーツにフェラーリはトラクター用の十倍の値段を付けていた。
元々は優秀なメカニックであった彼は、クラッチ修理と同時にフェラーリに装着されていたダウンドラフト型ウェーバー製キャブレターをサイドドラフト型に組替え、エンジンヘッドをオリジナルのSOHCから当時どの市販のフェラーリも採用していなかったDOHCに改造した。完成した車は公道でのテスト走行中の新型フェラーリをカモに出来るほど速かったという。
既存のエキゾチックカーに少なからず不満を抱いていた彼は、これがきっかけで自動車ビジネスに乗り出す決意をしたと言われる。前述のフェラーリの高額なパーツ販売をみて、「この商売は儲かる」と踏んでもいた。
トラクターの他にヘリコプターも作ったが、認可が下りず結果的に、プロトタイプの2台しか現存していない。
イタリア・モデナにあるトニーノ・ランボルギーニ・ムゼオにフェルッチオが関わったランボルギーニ製品が展示されている。