ロータス・カーズ(Lotus Cars )は、イギリスノーフォークのヘセル(Hethel )を拠点とするスポーツカーメーカーである。
会社組織の本体はグループロータス(Group Lotus plc )であり、乗用車の製造・販売うロータス・カーズ(Lotus Cars Ltd. )のもとには、自動車技術に関するコンサルタント業を行うロータス・エンジニアリング(Lotus Engineering )部門がある。
1994年、マレーシアの国有自動車会社プロトンにより買収され、以降は同社の子会社となっている。
1947年、当時ロンドン大学の学生であったコーリン・チャップマンは副業として中古車販売業を営んでおり、そこであまりに旧式なため売れ残った1928年型オースチン・7(セブン)[1]を自分用のレーシングカーに改造することを思いついた。
彼は事業パートナーであったコーリン・デア、ディレック・ウェットン、そしてガールフレンドであったヘイゼル・ウィリアムズらとともに旧式のシャーシを初めとする大部分を作り直し別の車と言ってよいほどの大幅な改造を施した。
この作業はロンドンのミューセル・ヒルにあったウィリアムズの実家のガレージで行われたという。
完成した車は別の車として登録され、翌1948年にはマイナーレースに参戦する。しかしチャプマンはこの車のベースとなったオースチン・7のエンジンパワーでは本格的なレースに参戦するのは不十分と考えており、すぐにより強力なフォード製「フォード8」エンジンを搭載した次モデルの構想に着手する。この次期モデルはロータスと名付けられ、1949年に完成した。これが最初にロータスと呼ばれた車である。
ロータスはチャプマンが完成させた2番目の車であることからマーク2と呼ばれ、それに伴って最初の車はマーク1と呼ばれることになった。
マーク2は完成してすぐさらに強力な「フォード10」エンジンへと換装され、レースに参戦するのは翌1950年からとなった。
マーク2は高い戦闘力を発揮し、チャプマンとヘイゼルの手で総合優勝4回、クラス優勝4回と好成績を挙げる。特に同年6月3日にシルバーストーンで開催されたエイトクラブ主催のレースでは、現在のF1マシンに当たるグランプリレーサーのブガッティ・タイプ37と競り合い、優勝してしまう。
相手が型落ちのGPレーサーとはいえ、無名のガレージ作成のレーシングカーが勝利したことは驚異であり、チャプマンは大いに注目されることとなる。マーク2は初の顧客となるマイク・ローソンに売却され、その後も好成績を挙げた。
チャプマンはより本格的なレーシングカーの開発に着手し、新たな協力者としてマイケルとナイジェルのアレン兄弟を迎え、彼らが所有していた郊外のガレージで販売を目的としたレーシングカー、マーク3、マーク4を完成させる。特にマーク3は当時のイギリスで人気のあったフォーミュラ750カテゴリで無類の強さを発揮し、ロータスの名は着実に高まっていった。
本格的なレーシングカー製造販売を目指していたチャプマンは、マーク3の成功により、いよいよ市販モデルの構想に着手する。
それまでのワンオフに近いモデルとは異なり、最初から量産を想定したモデルはマーク6と呼ばれ、その実現のためチャプマンはマイケル・アレンと共に1952年1月1日、ロンドンのホーンジー、トテナム通りにロータス・エンジニアリングを設立した。
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