日産自動車株式会社(にっさんじどうしゃ、英称:Nissan Motor Co., Ltd.
)は、神奈川県横浜市に本社を置く自動車メーカーである。日本のビッグスリーの一角で、フランスのルノーと資本提携を結ぶ。通称とブランド名は「日産 (NISSAN) 」。日本国外の一部では、高級車ブランドである「インフィニティ (INFINITI) 」も展開する。
(概要)
日産自動車は、日本の大手自動車メーカーである。芙蓉グループ(旧富士銀行系列)に属する東証一部上場企業であり、現在はフランスの自動車製造大手ルノーとアライアンスを結んでいるが、事実上同社の傘下に入っている。
日産自動車の関連会社には、委託製造会社である日産車体、モータースポーツ専門のニスモなどがある。また、国外では「インフィニティ」ブランドでの展開も行なっている他、親会社のルノーの車種を日産自動車のブランドで販売している。
現在親会社のルノーから派遣されたレバノン系ブラジル人(フランスとの2重国籍)のカルロス・ゴーンが代表取締役会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)を務める。なお、ゴーンは2005年4月より親会社のルノーの取締役会長兼CEO (PDG) も兼任している。現在、日産自動車の経営はゴーンCEOの指揮の下で日産出身の志賀俊之が最高執行責任者(COO)を務めている。
日産自動車の2010暦年のグローバル販売台数及び、グローバル生産台数は共に400万台を超え、国内自動車メーカーとしてはトヨタ自動車に次いで2番目に400万台の大台を突破した。
(歴史)
第二次世界大戦前は日産コンツェルンの一員であった。「日産」という名称は、当時グループの持株会社であった日本産業が由来となっている。
創業期より先進技術の吸収に積極的で、日産自動車はフォード、GMなみの大型乗用車を製造するため、1936年に米国グラハムページ自動車会社から設計図や設備などを購入し、また戦時中の技術的空白を埋めるため1952年オースチンと技術提携している。
1958年には、当時は世界で最も過酷な豪州ラリーに自社開発のダットサン210型が出場して見事にクラス優勝を飾り、1960年には業界初のデミング賞を受賞するなど、創業時より技術力の高さから「旗は日の丸、車はダットサン」「技術の日産」として親しまれ、故障が少なく高速走行を得意としたことで医者の往診に愛用されたことから「医者のダットサン」としても親しまれた。
1966年8月1日には、経営難に陥ったプリンス自動車工業株式会社と通産省主導により合併。名車スカイライン、グロリアと中島飛行機・立川飛行機の流れを汲む優秀な人材を戦列に加えた。またプリンス自動車工業の宇宙開発事業を承継し宇宙航空事業部を発足させた。
1973年の米国環境庁 (EPA) の燃費テストでサニーは第1位となり、この間、燃費向上のための高張力鋼板およびボディの防錆性の向上のための亜鉛ニッケルメッキ合金を用いた防錆鋼板(同社では「デュラスチール」と命名)、エンジンの燃焼制御技術の開発からCAD/CAM、産業用ロボットの開発まで、「技術の日産」として先端技術分野の先駆的役割を果たしてきた。
しかし、その反面、戦時中に自動車の配給を独占していた「日本自動車配給会社」が戦後に解散となった際、日本国内各地の地元の有力ディーラーの大半がトヨタ自動車に組織化されてしまい販売面でハンディとなった事と、「技術の日産」と評される程の技術力の高さで技術面で優位を保っていた反面、販売面では「販売のトヨタ」と評される程の販売戦略で優位を保っていた業界トップのトヨタ自動車には及ばず、1970年代までは業界トップのトヨタ自動車に肉薄していた日産自動車の販売シェアも、特に1980年代以降、業界トップのトヨタ自動車との販売シェアの差がますます広がる一方となる。