シーマ (Nissan Cima) は、かつて日産自動車が生産・販売していた高級セダンである。
1988年(昭和63年)に登場するや、初めの1年間だけで36,400台が販売され、当時の高額商品に対する旺盛な需要の象徴として『シーマ現象』と呼ばれた[1]。1991年(平成3年)には2世代目モデルに移行したが、景気の後退などの影響もあって販売は減少、最終型となった4代目モデルの年間販売台数は294台(2009年)に留まった。最新の安全基準を満たさなくなることを機として、2010年(平成22年)8月をもって生産中止された。
1988年(昭和63年)、日産自動車が販売していた高級セダン「セドリック」「グロリア」の更なる上級仕様として発売され、販売チャンネル別にそれぞれ「セドリック・シーマ」(日産モーター系列(ローレル販売会社))、「グロリア・シーマ 」(日産プリンス販売系列(スカイライン販売会社))として販売された。日産自動車には法人向け、ハイヤー向けとして、最高級乗用車「プレジデント」があったが、シーマは一般向けとしての史上最上級のモデルであり、全仕様がいわゆる「3ナンバー」登録となっていた。この初代モデルの発売時期はバブル景気の絶頂期に相当し、4年間の販売台数は12万9,000台にも及んだ。
初代・2代目モデルが日本国内でのみ販売されていたのに対して、3代目以降では、日本国外で展開されているインフィニティ・ブランドのフラッグシップ 「Q45」との兄弟車という関係になった。最終モデルとなった4代目には、同じプラットフォームからの派生車種として日産自動車のフラグシップモデル、プレジデントがあった。
Y31セドリック/グロリアと同じプラットフォームを使い、ホイールベースは同じであるが、3ナンバー専用の上級車として登場。搭載エンジンはVG30DE型V型6気筒DOHC NA・200ps(タイプI、タイプII)とVG30DET型V型6気筒DOHCターボ(ハイフローセラミック式)255ps(タイプII-S、タイプIIリミテッド)の2機種(のちにレパード(2代目)にも搭載された)。ボディタイプはスタイルを重視し、ベースのセドリック/グロリアの主力モデル同様、センターピラーのない4ドアピラーレスハードトップであった。
世の中は、1986年(昭和61年)頃からのハイソカーブームの流れに乗って人々の中流意識の高まりを背景にユーザーの高級志向が高くなっていった。日産の開発陣は、ユーザーが従来の5ナンバーの延長上ではない本格的3ナンバー車の幅広化を求めている点、ライバルトヨタもトヨタ・クラウンの3ナンバー版を開発している点、当時の政治状況が税制改革の動きがあるという点(3ナンバー自動車税の変革など)で高級車の販売競争が激しくなる…などの情報をもとに急遽開発を開始、開発期間の関係でセドリック/グロリアとの同時発売はできずに半年遅れの発売になった。しかし、その半年の遅れとセドリック/グロリアとの印象を大きく変えたことで別格のイメージが付き、5ナンバーと3ナンバーのイメージを同じにしたクラウンとの差別化に成功した。デザインのモチーフは鎌倉(長谷)の大仏である。ボンネットに誇らしげにそえられるエンブレムはアカンサスの葉を模したものである。
ジャガー・XJを思わせる国産車離れした流麗な外観と動力性能の高さから、当時の国産同クラスセダンとしては異例の一般オーナードライバー向け要素が強い車種として人気を集めた。電子制御エアサスペンションのしなやかな乗り心地もさることながら、アクセルを踏みこんだとき、セミトレーリングアームサスペンション車らしく、リヤを沈めて静かな中にも暴力的な加速を見せるその姿は当時中高年の憧れとなり、爆発的なヒットとなった。これは「シーマ現象」と呼ばれ、3ナンバー車ブームのきっかけとなる。それへの対応のためトヨタはあわててクラウンにV8モデルを追加したほどであった。その感動を忘れられない層のため、その後のモデルでもターボ搭載車をラインナップするが、世代を重ねるごとに徐々に廉価版としての位置付けが強くなっていく。
一方、その車格および当時の経済情勢から社用車や個人タクシーとしても多くが採用されており、用途によっては後席居住性に課題を残すこととなった。
また、デジタルメーターもオプションで装備することができた。
当初、ユニットはV6の3リッターノンターボで開発が進んでいたが、ライバルをクラウンよりは2代目トヨタ・ソアラに重点を置き、開発担当者の“ソアラには走りで負けるわけにはいかない”との議論の末にターボ搭載が決まったという経緯がある。このユニットは、当時マイナーチェンジのために開発中だった日産・レパードに初搭載するはずだったVG30DETである。レパード開発チームが、ソアラに対抗すべくレパードのマイナーチェンジの為に開発していたユニットであった為に当初は抵抗したそうだが、シーマ開発担当者の熱意に負けてシーマに初搭載された逸話がある。よって世間一般的にはVG30DETはシーマ用ユニットと言われているが、実際はレパードの為に開発されていたいわば”レパード用”と解釈してもおかしくはない。
当時の日産はCM戦略も斬新だった。母体のセドリック/グロリアのCMは“きっと新しいビッグカーの時代が来る”とシーマ誕生を予感させるものだった。当時、Y31セドリック発表時には久米社長が3ナンバー車の発売を予告。これに焦ったライバルのトヨタは、シーマ発売前に3ナンバークラウンの販売テコ入れを図ったとも伝えられる。逆にシーマ発売までの半年間は3ナンバーのセドリック/グロリアの買い控えが発生し、5ナンバーが販売の主力となっていた。発売後は、爆発的ヒットとなり1988年(昭和63年)2月は3ナンバークラウンを販売台数で抜いた。“シーマ現象”は、シーマだけではなく他の車種にも少なからずとも波及し、シルビアやブルーバードなどの日産車をはじめ、他社の高級車(ソアラ、クラウン、マークⅡ、レジェンドなど)へも波及し高級車市場、自動車市場が高級志向やバブル経済の勢いも有り一気に活性化された。
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