日産・シルビア(SILVIA)は、日産自動車で生産されていた2ドアノッチバックタイプのクーペ型自動車(3代目、4代目にはハッチバックが存在する。また2代目及び3代目のクーペは日産では公式には「ハードトップ」と呼んだ)。
名前の由来はギリシャ神話に登場する清楚な乙女の名前から。その語源はラテン語で「森」を意味する。
もともとスペシャリティカーとして登場し、3代目や5代目は当時のデートカーとして商業的に成功した。モデルチェンジと共に走行性能が向上したため、近年のモデルはレーサーやチューニングカー愛好者に人気が高い。そのため、2010年時点で日本国内で生産された車種としては任意自動車保険の保険料率の高い車種となっている。
1964年の第11回東京モーターショーに「ダットサン クーペ1500」として出品された後、1965年4月発売。ダットサン・フェアレディ(SP310型)のシャーシにSUツインキャブ付R型1600cc OHVエンジンを載せ、クーペボディを架装して作られた。日本車初採用の4速フルシンクロのトランスミッション、ドイツ人デザイナー、アルブレヒト・フォン・ゲルツによるクリスプカットと呼ばれた美しいデザイン(実際には当時日産デザイン室に在籍した木村一男がゲルツの指導の下にデザインしたもの)、継ぎ目を極力減らしたボディパネルなど意欲作であったが、美しいルックスには不釣合いなタフな乗り心地や相対的な割高感に加え、兄貴分のスカイラインやオープン版のフェアレディの影に隠れて商業的には成功したとは言えなかった。そのため、1968年6月に554台のみで生産を終了、一旦は絶版となった。
この初代シルビアは、殿内製作所(現在の株式会社トノックス)にて製造された。
神奈川県警察では、高速道路交通警察隊のパトカーとして採用された。
社団法人自動車技術会の「日本の自動車技術180選」に選出されている。また、トヨタ博物館の3階にも展示されている。
シルビアのモータースポーツ活動
1980年11月、マカオグランプリ・スーパーサルーンクラスおよびギア100に参戦。スーパーサルーンクラスでは優勝を飾り、ギア100では5位を記録する。共にドライバーは星野一義。
スーパーシルエットフォーミュラ・シルビアターボ
1981年、富士グランチャンピオンレースの併催レースであるスーパーシルエットクラスレースに参戦。ドライバーは星野一義。
ハッチバック(KS110型)をベースに車体の一部をパイプフレームとするノバ・エンジニアリング製のシャシーに大型のフロントスポイラー、およびリアウイングを備えるムーン・クラフト製のカウルをまとうスーパーシルエットフォーミュラ・シルビアターボが好戦績を残した。
メインスポンサーは一貫して日本ラジヱター(現・カルソニックカンセイ)。スーパーシルエットクラスレースには、同じ形状のカウルで1982年、1983年と連続参戦した(ただし、1983年途中からは同じシャーシにS12型風のカウルの組み合わせだった)。
なお、シルエットフォーミュラのエンジンは1981年度は直列4気筒DOHCのLZ20B型ターボ、1982年度はサファリラリー等で活躍したPA10型「バイオレット」に搭載されていた直列4気筒DOHCのLZ20B型にエアリサーチ製T05Bターボチャージャー、およびルーカス製メカニカルインジェクションシステムを組合わせたLZ20B/T(2082cc 570ps/7600rpm、55kgm/6400rpm)型だった。
日産の意向により、同様のレーシングカーがスカイライン(KDR30型)及びブルーバード(KY910型)でも製作され、それぞれ長谷見昌弘と柳田春人がドライブし、ターボ三羽烏として観客を沸かせた。
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