日産製サンタナ(M30型) [編集]日本では1984年から、日産自動車によって神奈川県座間市にあった日産自動車座間工場でライセンス生産・販売された。
1980年、当時積極的な国外展開戦略をとっていた日産自動車の社長石原俊は、フォルクスワーゲンとの全面提携を所望、その足掛かりとしてサンタナの製造・販売を提案した。
翌1981年、大和証券の仲介によって同車のライセンス生産に関する提携は成立したが、フォルクスワーゲンはそれ以上の業務提携拡大には関心を示さなかった。
その後、日本におけるサンタナの販売は、当初合意された月産4,000-5,000台の計画に対して、生産を終了した1991年までの7年間の合計でも約5万台という不調に終わり、両社の関係も後退した。
後継モデルとして1990年に発売されたパサート(第3世代)は、この経緯により当初日産によって取扱販売された。
直後の1991年、フォルクスワーゲンは、日本での販売に関してトヨタ自動車と提携、日産との提携は解消された。
その後に生産され「ヨーロッパ流で本格的」と評されたプリメーラはサンタナのノックダウン生産がなければ誕生しなかったと言われている。