TVR (ティーブイアール、TVR Motors Company )は、1947 年にトレバー・ウィルキンソン(Trevor Wilkinson )が、イギリス・ブラックプールに創業した自動車メーカーである。
電子制御や安全装備をもたない小型スポーツカーの製造を特徴とし、1990年代には同国で最大の独立したスポーツカー・メーカーとなっていた。一方で、製造される自動車は、高性能であるわりに安価(日本では新車の乗り出し価格は、ほとんどのモデルで1000万円以上)である反面、信頼性に問題があると評される。
2004年にロシア人実業家に買収されたが、それ以降の会社運営は混乱状態にあり販売は激減、2006年12月には経営破綻しており、公式サイトも現在閉鎖状態である。
1970年代前までは小さなコーチビルダーに過ぎなかった。1981年にピーター・ウィラーに買収され、1990年代には乗用車・キミーラが成功した。
50年以上の歴史の中でTVRは、「スポーツカーというのは、大馬力で軽量であればそれでいい」という考えのもとに、マルチチューブラースペースフレームに軽いFRPボディを被せた軽量ハイパワーなFR車を作り続けてきた。
TVRの乗用車には、 エアバッグ、ABS、TCS等の安全装備や電子デバイスは一切搭載されなかった。椅子やメーターパネルの製造まで自社内でまかなうという旧来の方針は、2004年以降には改められようとしていた。
1947年にウィルキンソンは、パートタイムとして夜と週末のみ働いていたジャック・ピッカードを最初の従業員として雇用し、会社名をTVR Engineeringと改めた。軍のトラックの修理によって、安定した収入を得るようになった。
2年後、会社の経営が軌道に乗ったと判断したウィルキンソンは初めてTVR独自のシャーシの開発に着手する。彼もジャックも自動車工学の経験がそれほどなかったために、プロジェクトの完成までにはかなりの時間が費やされた。しかしながら、この時点でも主な収入源は機械の製作であった。
鋼鉄のパイプが枠組みされたシャーシが完成したところでテスト走行が行われたが、最初のテスト走行ではクルマは木にぶつかってやっと止まるといった状態だった。再び改良が加えられ、まともなブレーキが取り付けられた。ボディワークを手がけるためにレス・デールが雇用され、最初のTVR車輛が完成した。形は古くさく、製造者達はがっかりしたが、この車輛はウィルキンソンのいとこが購入し、車輛の完成前に次の顧客はすでに決定していた。この時点までは彼らの仕事はまだ趣味の域を出ないものだった。
トレバー・ウィルキンソン時代
その後もほとんど受注生産のワンオフモデルばかりで、生産量が増え出したのは1958年の「グランチュラ」の製造以降である。グランチュラはF1マシン、ロータス25にも搭載された名機、コヴェントリー・クライマックスを搭載したFRPボディの安価な軽量スポーツカーとして人気を博した。その後1963年にさらに過激な「グリフィス」を発表したが、その後経営が悪化、1965年にマーチン・リリーへとその経営が引き継がれた。